「漫画少年」物語 編集者・加藤謙一伝/加藤 丈夫

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目次

発行日と目次

発行日:2002年12月16日

目次は以下。

はじめに
■「漫画少年」の誕生
・家族総出の雑誌作り
・がんばる”まる子”
・恩人たちの死を越えて
・天才、手塚治虫の登場
・投稿少年たち
・「野球少年」の大ヒット
■青雲の志を抱いて
・親友・宇野親美
・「なかよし」の子どもたち
・上京‐講談社へ
■「少年倶楽部」時代
・佐藤紅緑との出会い
・「のらくろ」ブーム
・黄金時代
・結婚
・「講談社の絵本」の刊行
・太平洋戦争
■トキワ荘の漫画家たち
・小石川時代
・トキワ荘の主‐寺田ヒロオ
・漫画家のマンガのような暮らし
・「漫画少年」の廃刊
・手塚治虫の遺産
■生涯一編集者として
・講談社顧問室の日々
・教育者の目
・生涯一編集者の誇り
■エピローグ
あとがき
参考資料

説明や感想など

手塚治虫が東京で活躍するきっかけになった「ジャングル大帝」が連載されたことで有名な『漫画少年』を作った加藤謙一の生涯をその四男である加藤丈夫氏が綴ったもの。

藤子不二雄(藤子不二雄A)の「まんが道」に何度も出てくるので、『漫画少年』の名前を知っている人も多いかと思います。※「まんが道」に出てくる編集長の加藤さんは次男の加藤宏泰氏です。

ちなみに、この本に当時トキワ荘で漫画を描いていた藤子不二雄の写真が載っています。



率直に言って名著。漫画関連の本をいろいろ読みましたが、おすすめは何かと聞かれたらこの本を挙げると思います。

晩年の加藤謙一氏と奥さんの写真を見て、なぜだか涙が出てしまった。

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こぼれ話

このような本を色々と読んでいると、人と、そして仕事は繋がっているのだなと思わされ、感動させられます。

戦前の人気児童書「少年俱楽部」の編集長だった加藤が、当時人気のあった小説家、佐藤紅緑に小説の連載を依頼にいった際、「子供の読むものを書けというのか」と激怒される。※佐藤紅緑は俳人・劇作家でもあった。

それに対して「国の宝である子供に向けて書いてもらうことをお願いするのがそんなに失礼なことなのか」と説得し、後に佐藤紅緑は連載を承諾。連載された『あゝ玉杯に花うけて』が大人気となる。

その後、佐藤紅緑が同誌に「もっと漫画を載せたらどうか」と提案したことがキッカケになり、戦前の人気作品「のらくろ」や「冒険ダン吉」が生まれることになる。

時代はくだり、少年マガジンをもっと発展させたいと思った当時の編集長、内田勝(と副編集長:宮原照夫)は梶原一騎に漫画の原作を依頼するも激怒される。

その際、「梶原さん、マガジンの佐藤紅緑になって欲しいんです」と説得したことで、梶原一騎の気持ちに火がつき、『巨人の星』の原作を書くこととなった。

※マガジンの話は『漫画少年物語』に書かれている話ではありませんのでご留意ください。


この記事を書いた人

1970年代生まれ。少年ジャンプは黄金期、就職は氷河期の世代。

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