少年倶楽部時代―編集長の回想/加藤謙一

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目次

発行日と目次

発行日:1968年9月28日

目次は以下。

はじめに
第一部:少年倶楽部時代
・新米編集長
・血気にはやる進撃
・好事魔多し
・メチャ博士の登場
・編集長と消防ポンプ
・百花繚乱の読み物陣
・「前人未到」への魅力
・雑誌と読者の密着
・付録の明暗
第二部:思い出す人々
斎藤 五百枝、佐藤 紅禄、真山 青果、額田 六福、尾崎 士郎、直木 三十五、谷 洗馬、椛島 勝一、山中 峯太郎、佐々木 邦、雨情と牧水、菊池 寛、吉川 英治、芳賀 まさお、手紙での人、加藤 牧星、高橋 寅次郎、ただ一言の人、野間 清治

説明や感想など

戦前から戦中にかけての日本の少年雑誌の黄金時代を背景に、編集者としての視点から当時の出版業界の舞台裏や文化的影響が描かれた著作。

講談社の創業者である野間 清治の考え方や人となりを知ることもできるという点でも貴重な本かと思います。

戦前から雑誌は新年号が最も重要視されていたようで、年に一度大会議が開かれていたそうです。

会議は午後の三時にはじまって夜の十一時ごろまで休みなしにつづけられた。(中略)十一時ごろ一応閉会にしたあと、最高幹部だけ数名残って会議を続行する例でもあった。それがたいてい夜明けの六時になったり七時になったり。私の記憶では、前日の午後三時にはじまった会議が翌日の夕方近く午後五時までというのがあった。

少年倶楽部時代:P72~73 編集長と消防ポンプ より

ちなみに少年ジャンプが653万部を記録したのも新年3・4合併号

少年倶楽部は大正13年には30万部発行していたそうです。

今より流通も発達しておらず、娯楽に費やせるお金もそれほど余裕が無かったであろう時代に、これだけ発行されたというのは驚くべきことですね。

なお、電子書籍はカウントされていませんが、2024年時点での『週刊少年マガジン』の発行部数がおおよそ平均して30万部超だったようです。

馬のさし絵を描かせたら右に出るものがいないと言われた谷洗馬という人物は、馬好きが高じて自宅の半分を厩舎にしていたそうです。

オーディオ好きや音楽業界の人間ならだれでも知っているであろう「ティアック」は、谷洗馬の長男、谷勝馬氏と、次男の谷鞆馬氏が興した会社だそうです。

こぼれ話

先に30万部発行されていたと記載しましたが、当時「少年俱楽部」がどれくらい子供たちに人気だったのか、それが伺えるエピソードがありました。

毎月雑誌の出る日がきまってるのに、その近くになると、学校の行き帰りにまだかまだかと本屋に寄ってはうるさがられる。いよいよきょうは荷が着くときくと、駅まで迎えにいく。その荷を積んだ車の後押しをして本屋に帰ってきては荷ほどきの手伝いをする。ご苦労なことだが、一刻も早く新しい雑誌が見たくてしょうがないのだ。朝日放送の鈴木昭典さんから近ごろきいた話だが、大阪府下の天王寺師範の第二高鷲小学校では、毎月十日に限り生徒の遅刻を黙認したという。少年俱楽部の出る日だからである。

少年俱楽部時代:P127~128 雑誌と読者の密着 より

今は無料で、または安価に良質なコンテンツを大量に閲覧できますが、正直言ってありがたみのようなものは全く感じられないですね。むしろ消費がタスク化してしまっていてしんどいくらいです。

そう考えると、「幸福」や「豊かさ」とはなんなのか、改めて考えさせられてしまいますね。

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この記事を書いた人

1970年代生まれ。少年ジャンプは黄金期、就職は氷河期の世代。

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